制服を脱ぎ、自分で選んだ服を着よう!

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こんにちは、高橋尚子です。
ちっとも土曜日ではないのですが、今回のWomen’s Saturdayは個人的な話と絡めた「ファッション雑学」です。

すごく個人的な話ですが、よく周りから「どうしてそんなに仕事をするの?」とか「なぜ結婚をしないのか?」とか良く聞かれます。答えは割とシンプルで、いつでも仕事を最優先にできる環境を強く望んでいるからです。女性でも表舞台で思う存分仕事ができる環境を常に追い求めているし、かといって自分が仕事にかまける分、ほかの誰かに迷惑が及ぶのも好きではないので、今のところはこのままの人生を送ってみようと思っています。

こういった考えを持つのは育った環境の影響だと思います。実家は自営業で家の中に職場があり、長子の私は子供の頃から家業や家事を手伝いました。幼稚園児の頃から常に仕事を意識していた記憶があります。自分はかなりの戦力だという自負もあったのですが、超えられない壁もありました。

「長子でも、どれだけ優秀でも、女の子だから跡を継げない」。
ならば自分は将来どんな仕事に就いたらいいか、幼い頃から常に将来の仕事について考えました。その一方で弟は「家業を継ぐ」というような話が出るとひとりで部屋に閉じこもり「自分はデザイナーになりたい!」と一生懸命、泣きながらなにかの絵を描いていたのもかわいそうでなりませんでした。継ぎたい人が継げればそれでいいはずなのに、性別が違うだけで、なぜそれぞれが苦い想いをするのだろうと思っていました。私は1971年、弟は75年生まれです。その間には妹もいます。

こういうことは時代の影響もあると思います。また程度の差こそあれ、誰にでも「ないものねだり」もあるでしょう。今ではずいぶん仕事における男女「差別」がなくなってきたし、一部の先端企業では「性差」をうまく活用しようという企業まで出てきているので“時代は変わる”ものだなあ、と嬉しくなります。ただ「女性擁護」ともなると、これもまた「男女差別」になると思うので、私はあくまで「男女対等」であるべきで、かつそれぞれの「性差」が活かせる世界がいいと思います。

中学時代の『制服』のこと

中学校に入学した頃、先生からこんな話を聞きました。私が入った中学では男子は他の中学の学ランとは少し異なる制服でした。制服のデザインが少し異なることが起因して他校とのケンカが多かったらしく、それを戒めるためのお話でした。

「うちの学校の歴史は古いから、戦後に学校制度が変わっても男子の制服は戦前のままのデザインを残す事が出来た。制服の事をからかわれても売られたケンカは買わないように。」ケンカを買わないためになるなら…という注釈付きで、男子の制服の由来を話してくれました。でも女子の制服は「立場上どうしても口にはだせないが、本当に納得がいかない」といった感じを強くにおわせて口をつぐみました。

私はファッションや服装に興味があったし男女差別のようなことにも敏感だったので、それから制服についても興味を持つことになります。

「制服」の最高峰は軍服なので、少し前までの学生の制服にもそのデザインが用いられました。戦時下では優秀な志願兵を増やす必要があるので、軍服のデザインにはその国で最も優秀なデザイナーを登用すると言われます。研鑽されたそのデザインは、今でもよくモードの世界にも登場します。ミリタリールックは私がとても好きなルックのひとつなのですが、完成度が高すぎるあまり
ちょっとキケンな現象も巻き起こします。

『セーラー服』ってどこからきたのか

現在の学校は男女ともブレザースタイルが多いですが、それ以前は男子は「学ラン」、女子は「セーラー服」が主流でした。

「学ラン」は戦前の日本の陸軍の制服を模したもの、と聞いています。私が通った中学の男子生徒の制服は戦時下では「エリート」とされていた空軍のものがモチーフだったそうです。どちらも同じ、ただの中学生なのに、制服がちょっと違うデザインなだけでずいぶんとケンカが多く出たようです。

では「セーラー服」ってなんでしょう。

こちらもある種の軍服ですが、意味合いが男子のものとは全く異なる制服です。軍隊の階級的に、最も戦闘力がなく、最も下位で、どれだけ頑張ったとしても決して上には上がれない。数だけいればそれでいいチームの制服からきています。加えてこれが敵国の制服だったことも問題を加速させたと思います。

セーラー服による「女性は下位だ」という刷り込みはとてもキケンで、例えばセーラー服だとブレザーに比べ痴漢に合う率も異常に高い、ということも私と同世代の女性達はみな経験値で知っているかと思います。

どうにもならない「差別」と「抑圧」は暴力性もはらみます。セーラー服の時代には「スケ番」や「積み木くずし」などの現象が生まれ、危険なセーラー服はブレザーへと変化を遂げます。以後少子化が進み、学校が学生を集めるために「かわいい制服」に力を注ぐようになると制服の価値観も激変しますが、私と同じ「セーラー服世代」の女性は制服がキライでキライでしょうがないと思うんです。誰でもみんな差別を受けるのはイヤだしキツイし、心に深い傷も受けます。「差別」が「抑圧」を生み、「抑圧」が「暴力」をはらみ、「戦い」に発展すると「勝ち負け」が出て、それがまた新たな「差別」を生み出します。どこかでそのサイクルを断ち切らないと、終わりがないんです。

『制服』のコワさ

制服は大勢の人をまとめる時にはとても有益だと思います。帰属意識もでるし、仲間意識も強まります。職業に制服があると仕事意識やプロ意識も増長されます。反面、仲間意識が強くなりすぎると、自分たちと違う「制服」に敵対心が生まれます。そして同じ「制服」を着る人がたくさんいるとそこには「権力」が生じ「階級」が生まれ、そしてまた「差別」が出てきます。

「似たもの同士」が「よりあう」ことはちょっとだけ心地いいんです。痛みや傷も分かち合えるし、グチも言える。でも度が過ぎると同じ不満や憎しみが増幅されて抑圧感が爆発します。そうなると、またどこかの誰かが「セーラー服」着せられます。私は二度とセーラー服は着たくないし、別の誰かがセーラー服を着せられるのも見たくないんです。

だからコワーキングがとても好き

私は人から「コワーキング」の魅力を聞かれると、無意識に毎回同じ答えを言います。

「みんなが対等で、差別もない。学歴も職業も収入もみんな全然関係がなくて、おまけに男女差別もない。でも自分の人柄とか私が持っている仕事の知識やスキルにはみんなが興味を持ってくれる」んだ、と。周囲の人に言わせると、コワーキングの話をする私はホントに楽しそうに見えるらしいです。実際にむちゃくちゃ楽しいんです。

コワーキングに出会うまでは、何かしらの序列があって、差別があっても仕方がない、と思っていました。でもコワーキングはみんなが「対等」。そして誰に対しても「扉」が開いているんですよね。

こういう世界が成立するのは、さまざまな業種の人、いろいろな価値観の人が入り交じっていて、それぞれが自立していて、そして特定の誰かが権力を持つこともないから差別がないんだと思います。足りないものはみんなで協力し合えばいい。でも「協力し合う」ことと「助け合う」はちょっと意味が違うと思います。「助ける」は差別的な発想なので、私はあまり好きじゃないんだと思います。

ファッション屋になったワケ

私がファッションの仕事を選んだのは「制服」がイヤだったからです。新卒で就職したのは92年のことですが、当時は女性だけ制服着用という会社がほとんどでした。おしゃれを自由に楽しみたかったし、女性である事がメリットになる業種がいいな、と思いました。80年代のウーマンリブ世代と比べれば、それでもずいぶんマシだったと思うのですが、まだまだ男女が同じ仕事に就ける確立はとても低く、同じ仕事を得られても男女で給与格差がありました。

それから私はファッションが持つ世界観が好きなんだな、というのもあると思います。ファッションはなんの垣根も作らなく、文化や人種の「ごちゃまぜ感」を楽しみます。

ビッグメゾンのコレクションショーでも実に多様な価値観の服がたくさん登場します。ヨーロッパの貴族の服も軍服も、アイビーやプレッピーの学生服も娼婦の服も、さまざまな国の民族衣装も、すべてがなんの差別も優劣もなく、横並びでランウェイを飾ります。

「服装」や「ドレスコード」は時としてヒエラルキーを増幅させるものなのですが、ファッションやモードの世界はすべての文化とすべての職種、すべての人種が持つ服を肯定します。あたりまえですが、性別も肯定します。多様なものが対等にまざって行くと、また新しい「服」が誕生していきます。

服が偏りヒエラルキーが増幅すると、差別と抑圧が生まれ、貧困が出て、憎しみ、争い、略奪の世界になるのをファッション屋は歴史的に知っているので、いろんなものを意識的に必死になって取り込むんです。

世の中がヒリヒリするとき、ファッション屋は癒しの服をたくさん出します。どこかで戦いや諍いが起こりそうになる時はミリタリールックをたくさん出します。こういった姿勢は戦争をあおるんじゃないかと批判されますが、違うんです。世情が不安になったり諍いが起きるとファッション屋はまっさきに食えなくなるから、なんとかそれを食い止めようと、自分たちのやり方で自分たちができることでメッセージを送ります。現実から目を背けるな、いつもどこかで誰かが苦しい想いをしていることを忘れるな、と。そういう強い意志を持ち、新しい価値を持つ服を必死になって生み出します。研鑽された制服よりももっとかっこいい、もっと強い価値観を作ってみせる。自分で服を選べる世界を広げたいし、楽しみたい。制服を着ない世界は何にも守られないけれど、自分の力で生きられて無用な差別もないからいい。

そんな感じで、私はやっとセーラー服を着なくてもいいコワーキングを堪能しています。コワーカーにはセーラー服世代の人はそんなに多くないですが、コワーキングが生み出すものにはそんな何かを感じてきた人たちに響くものがあると思います。

About 高橋 尚子

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