百の姓と書いて、お百姓さんといいますが、
これは昔の農民が他にもたくさんの仕事を持っていたということから、そう名付けられました。

農はベーシックとしてあり、その上で大工、鍛冶屋、祭事、医者などなど、それぞれの仕事があり、村落社会が形成されていました。

しかもそれは季節によって、年によってどんどん移り変わり、重なったり隙間が空いたりしながら、人が生活していた。そんな生活ができていたのも、人と人とはもとより、人と社会集団とが密接に関係づけられていたからだと思います。

なぜ、百姓の話から始めたかというと、コレって、
コワーキングなんじゃないかと思ったためです。

コワーキングスペースに人が集まったときに、
僕は農村でしめ縄をみんなで作っている時に感じた柔らかいあったかい嬉しい感覚がしました。作業そのものでなく、その場の空気感について、とくにそんな感じがしました。

みんながみんなを知っているし、
みんながみんなを知ろうとしている。

この”関わりしろ”のようなものは、非効率的で、作業にはむいていないのかもしれません。
しかし、農村にはかなり残っていますし、パックスコワーキングにはあります。

ネットワークがゆるやかにあり、それぞれの仕事を知っていて、
それぞれの生業を暮らしている。

コワーキングが拡がる現代。
そんな今の社会の向かう先のヒントが、農山村にあるのではないか。

そんなことを考えながら、
ことしも僕は農山村に通い続けようと思いました。